かおくんの今日のOne Shot !

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2009年 05月 06日

国見ヶ丘(高千穂)

旅館末廣さんでの滞在を満喫した翌日、
「雲海」で有名な国見ヶ丘に立ち寄ってから
次の目的地に向かうことにした。

尤も雲海は「秋」で、しかも「快晴・無風」、更に「冷え込んだ朝」
という条件が全て揃わないと拝めない。

もちろん今は全くの季節外れにつき、雲海無しの国見ヶ丘であった。
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EOS40D/30mm F1.4 EX DC HSM


三神の像
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EOS40D/30mm F1.4 EX DC HSM


全体に霞がかっていてきれい・・・
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EOS40D/30mm F1.4 EX DC HSM


【豆知識】 天孫降臨(てんそんこうりん)と高千穂

遠い神代(かみよ)の昔、この地上界があまりにも乱れていましたので、
高天原(たかまがはら)の天照大神(あまてらすおおかみ)は大変ご心配になりました。
そこで天照大神孫にあたる瓊々杵尊(ににぎのみこと)に地上界へ降りて国を治めるように命じました。
多くの神々を従え、高天原を出発した瓊々杵尊は日向の高千穂の二上峯(ふたがみのたけ)に
到着されました。しかし、霧が深く夜や昼の区別もつかず、道も分からず、物の色もよく分かりません。
その時、この地に住む大鉗(おおくわ)・小鉗(おくわ)という二人があらわれて、「尊が手に持たれている
稲千穂を籾(もみ)にして、あたり一面にまかれるとこの霧は必ず晴れるでしょう」と進言しました。
尊(みこと)がその通りにすると、霧が晴れ地上界に無事に降りることができました。
それでこの地は智鋪(ちほ)(高千穂)といわれるようになったそうです。
この神話は日向風土記(ひゅうがふどき)に書かれていた物語です。
風土記は七一三年、元明天皇の命(めい)により、諸国の国司(こくし)(現在の県知事)が産物、
地名の由来・伝承等を書いて提出した地誌です。
日向風土記は現在残っていませんが、万葉集註釈(まんようしゅうちゅうしゃく)(一二六九年)
釈日本紀(しゃくにほんき)(一二七四年)という書物に引用(いんよう)されており、
これを風土記逸文(いつぶん)と呼んでいます。
尚、古事記(こじき)(七一二年)には天孫降臨の神山(しんざん)として高千穂の
久士布流多気(くしふるたけ)、日本書紀(にほんしょき)(七二〇年)には
襲(そ)の高千穂峯(たかちほのたけ)、くしふる峯(くしふるのたけ)、
二上峯(ふたがみのたけ)、添山峯(そふりやまたけ)(祖母山)が記されています。

高千穂町(公園内の説明書きより)


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by tomokin9474 | 2009-05-06 23:00 | 旅(Trip)


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